
2月。中学受験の世界では、新しい学年が幕を開ける季節です。合格発表の余韻が残る一方で、新小4から新小6までの子どもたちは、一斉に新しいテキストを手に取ります。大人にとっては短く感じる1年も、子どもたちにとっては、先の見えない長い道のりのスタートラインに立つ心境かもしれません。
塾のクラス替え、偏差値、順位。数字がすべてを支配しているような錯覚に陥(おちい)りやすいこの時期、親の心はこれまで以上に揺れ、無意識のうちに「結果」だけを追い求めてしまいがちです。
しかし、あえて言わせてください。親が「成績」だけに固執したとき、子どもたちの心には、偏差値では測れない「ひずみ」が生じ始めます。そしてそのひずみは、皮肉なことに、親が最も望んでいるはずの「合格」を遠ざけてしまう一因になるのです。
これは決して、お子さんやご家庭を否定したいのではありません。ただ、中学受験という過酷なシステムの中にいると、誰もが気づかぬうちに「数字」という魔力に飲み込まれてしまうことがある。その怖さを、実例を通してお伝えしたいのです。
「耳が痛い」のは、私自身もそうだったから
これから少し厳しいお話をしますが、実はこれを書いている私自身、決して完璧な親ではありませんでした。
「〇〇ちゃんは何点だった?」「〇〇くんは何て言ってた?」
そんな言葉が、今でも無意識のうちに口からこぼれそうになることがあります 。子どもの頑張りを応援したい一心、そして「わが子は今、どの位置にいるのか」という不安を解消したいがために、知らず知らずのうちに、子どもを「数字」というフィルター越しに見てしまうのです 。
自分だって人と比べられるのは嫌だと分かっているのに。今振り返れば、その問いかけがいかに子どもの心を「他者との比較」という窮屈な場所へ追い込んでいたか、身に染みてわかります 。 この記事は、そんな私自身の反省も込めて、今まさに2月の波に飲まれそうな皆さんと一緒に考えたいと思い、書いています 。
親の価値観は、子どもの世界を形作る
子どもは驚くほど親の背中を見ています 。親が大切にしているものを、子どもも同じように大切にするようになります 。もし親が、偏差値やクラスといった「数字」ばかりを見ていたら、子どももまた、人を数字で測るようになります 。
これは、実際にある塾や塾の周辺で起きている、胸が痛くなるような話です。
エレベーターでの「序列」
ある塾で実際に聞いたお話です。上位クラスの子が乗ったエレベーターに、下位クラスの子が同乗したとき、投げかけられた言葉がありました 。
「なんで(このエレベーターに)一緒に乗ってるの?」
たった一言ですが、そこには「自分は上、あなたは下。同じ空間にいるべきではない」という、残酷な無意識の序列が透けて見えます 。
「スペック」で人を値踏みする視線
成績至上主義に染まった子は、他者への想像力を失っていきます 。
- 友達から何かを貰っても、感謝の前に「えー、これ要らない」と平然と口にする。
- 「 そんなレベルの学校を志望してるの?」と相手を貶める。
- 「お前の家の車、何?」「親の仕事は何?」と、相手を人間としてではなく、外側にある「オプション」や「属性」、「数字」でしか見ることができなくなってしまう。
これらは、子どもが本来持っている純粋な悪意ではありません。家庭のリビングで、親が何気なく発している「評価軸」が、そのまま子どもの価値観としてコピーされた結果ではないかと思います。
「思考停止」が招く、受験番号の書き写し
成績への固執が極限まで達したとき、子どもは「正解」を導き出す努力を放棄し、別の手段で「結果」を捏造しようとします。
カンニング。友達の答えを盗み見るだけでも大きな問題ですが、中には「受験番号」までそのまま書き写してしまった子がいました。これはもはや、点数を取りたいという欲求ですらありません。「成績が悪ければ、自分の居場所がなくなる」という恐怖に追い詰められ、脳が完全にシャットダウンしてしまった「思考停止」のサインです。
そんな精神状態で、入試本番のプレッシャーに耐えられるはずがありません 。親の期待に応えようとするあまり、子どもが自分の力で考える「合格力」を自ら捨ててしまっているのです 。
行事を「無駄」と切り捨てる危うさ
また、本来なら貴重な経験であるはずの学校行事、例えば「臨海学校」や「運動会」などを「授業を休むことになるから」「復習テストが受けられないから」という理由で拒絶する子もいます。
もちろん、入試直前であったり、集団行動や体調面に不安があったりする場合の欠席は、一つの選択でしょう。
しかし、一見ストイックで受験に集中しているように見えるこの行動も、長期的な視点で見ればリスクを孕(はら)んでいます。
中学受験、特に最難関校が求めているのは、単なる知識の詰め込みではありません 。他者と協力し、自然に触れ、情緒を育む。そうした「人としての土台」があってこそ、国語の深い読解力や、算数の粘り強い思考力が育つのです 。 大人になって社会に出た後も、他者と協力する力は不可欠な能力です。
目の前のテストの数点のために「経験」を削ぎ落とすことは、長い目で見れば、合格するための「伸びしろ」と、大人になるために必要な「力」を自ら削っているのと同じです 。
「そんな極端な話、ありえないのでは?」
私自身、かつてはこうした話を、小説の中の出来事や特異な例だと思っていました。しかし、これらはすべて私の身近な親御さんから聞いた実話です。
成績だけが唯一の評価軸になってしまうと、親が思いもよらない方向へ子どもが進んでしまう危険性がある。その事実を、ぜひ知っておいていただきたいと思います。
109mamaより
塾に通わせている親として、成績が気になるのは仕方のないことです 。当然です。周りの子の成績が気になるのも、当たり前です。
でも、それを一番の優先順位にしてはいけません。私たちが中学受験を選択したのは、子どもの幸せを願ってのことだったはずです。
子どもにとって塾は新しい環境であり、小学校とは全く違う価値観の中で進んでいきます。それは、まっさらなキャンバスに絵を描くようなもの。そのキャンバスに何を描くのか。その筆を、実は親が握っているのではないでしょうか。
中学受験という過酷な環境で、今の位置を維持しているだけでも、わが子は相当えらいのです 。「数字」は物差しであっても、子どもの価値そのものではありません 。
中学受験に対する考え方は、ご家庭ごとに様々であることは重々承知しています。また、昨今の過酷すぎる中学受験が果たして子どもにとって良いものなのか、という議論があることも承知しています。
しかし、この受験という長いプロセスを通して、子どもにどんな風に成長してほしいのか。その本質を、皆さんと一緒に考えていくきっかけになれば幸いです。